プラズマパルサー開発エピソード
胃がんで余命3か月からのスタート
プラズマパルサーは、2010年に、現在のプラズマ化学の久保木社長が、東京大学の研究室にいた田丸院長に会いに行ったのがきっかけでした。久保木社長の依頼はこうでした。
「市販の電位治療機を応用してガンを改善する装置の開発がしたい」
当時、田丸院長は胃ガンを患っていました。医師に残り3ヶ月と余命を切られてから、5年が経過していました。田丸院長は、痩せ細って食事のたびに胃の癌細胞を削る結果になり、痛みと戦っていました。田丸院長は、依頼を受けようと考えました。
乾草の山から針を探すような作業
その日から図書館通いが始まります。数多くの論文の資料を読み漁っていた田丸院長の目にひとつの論文がひっかかります。それは、子宮頸がんの研究論文です。
子宮頸がんの癌細胞に対して、ATPの液体を垂らしたところ24時間で正常細胞に戻るという論文でした。
当時、田丸院長が東京大学の研究室でいたのは、プラズマを照射した水を使って、微生物中にあるミトコンドリアのATPを増加し、微生物のエネルギーを上げて元気にすることで、微生物を元気にすることまでは成功していたのです。これを人の癌にも応用できないだろうか、と考えました。しかし、単細胞の微生物とは違い、人間はとてつもない複合生命体。その人間のATP量をすべて上げるのは、無理だと思っていました。
偶然から導かれた答え
プラズマパルサーの構造設計に1月、一台目は3日間でできあがります。出来上がった装置は不思議と、田丸院長の25年の研究開発のすべての経験が生かされる装置でした。
東洋インキで初めてプラズマに出会い、物質の分解、合成、物質の性質の技術を研究。そしてそこで得た技術を使い、病院の手術室から捨てられていた亜酸化窒素(笑気ガス)分解に成功します。この功績は国際麻酔科学会の国際論文を通します。その国際論文きっかけに、今度は大手自動車の排ガス装置開発の依頼を受けます。排ガス装置の電源装置の開発が思うように進まず、おやつで出ていたミカンに検針を突き刺して電圧を調べたのをきっかけに、生命体の細胞電圧を発見します。
そこから、人の細胞電圧が体内健康と連動しているのを発見しました。
自らの体で臨床試験
プラズマパルサーは、30㎝角の中に家庭用の100V電源を2万Vまで昇圧し、電子(e-)を発生させています。大手自動車会社の開発現場で実現化した特許が使われています。
しかし、ATPを増やすために電子(e-)を送ると言っても、電子伝達系に有効に届く具体的なやり方が分かりません。それで、
思い付く限り外部から電子伝達系にアプローチできる箇所からすべて投入することにしました。
空気中から肺に、電子パットから皮膚を伝い、神経へ。水から、消化器に。
まず、自らが5年間戦ってきた癌から試しました。そうして3ヶ月後、田丸院長の癌は消失したのです。
待っている人へ届けたい
「先生、今度は何をやってるの?」とその社長は聞きます。
田丸院長は答えました。「自分の癌を治す装置を作っている」
それを聞いた社長は、昼食を食べながら号泣しました。聞くと、その二年前に妻が癌で亡くなっていたのです。この開発が4年早ければと、その社長は設計費も開発費も無償で協力し、現在のプラズマパルサーが出来上がったというわけです。動き出したストーリー
そこからプラズマ療法は始まり、現在は臨床医の協力のもと100台以上のプラズマパルサーをサロンや治療院などに設置することができています。最初は癌治療を目的とされていましたが、
癌だけではなく膠原病などの難病、リウマチ、肝臓病など慢性疾患、また美容や健康、プロアスリートの身体強化
などにも応用が始まっています。